手先の器用なインド人
私は最近ムンバイで腕時計を直しました。その腕時計は思い出の品で、東京のあるデパートの時計店で聞いたところ、部品も古いし、修理には数ヶ月かかると言われほぼ諦めていました。ダメ元でムンバイの自宅近くの時計屋さんにお願いしたところ、何と20分くらいで再び動き始めました。その勢いで、次の週には、奥さんの使用20年くらいの金属のベルトの止め金が壊れた時計を修理に出しました。その時計も日本では古い型だから、ベルトも止め金部分の部品も既に無いので直せませんと言われたものでした。ムンバイの時計屋さんもさすがに今度は預からせてくれと言いましたが、1週間後お店に行ってみると止め金はちゃんと直っていました。サイズが合わない止め金は新しいものを削って調整したそうです。
もう一つ奥さんの話です。お祖母さんからお母さん、奥さんへと代々譲り受けた小さな指輪でしたが、宝石の台が古くなって壊れ、四つのパーツにバラバラになってしまったものです。日本では、台が古いので再生は無理、石を新しい台の上につけ直すしかないと言われましたが、元の形に何とか戻らないかとムンバイの宝石店に持ち込みました。1週間くらいして連絡があり出かけて見ると、元の指輪がそこにありました。どのように直したかは分かりませんが、よくぞ直りました。思い出の品の再生です。
むかし、中東のバーレーンという国に勤務していた時の事を思い出しました。そこには家庭電気製品なら何でも直すと評判のインド人が経営する電気屋さんがありました。私はその店で、コンピューターのプリンターとステレオのCDが5枚入るオート・チェンジャーを直してもらいました。多くの在留日本人が、日本では直らないと言われた電気製品をわざわざバーレーンに持ってきて直していました。
なぜインド人は何でも直すのか。町を歩くと、電気製品、鞄、家具などの修理屋さんだけでなく、道ばたには、靴や草履、雨傘まで直すお店があります。一般のインド人は貧しく新しいものがなかなか買えないので修理屋が多いということも事実かも知れません。くだんの時計屋さんに行くと店先に柱時計が山のように積まれています。全て近所の家庭から修理用に持ち込まれたものということで、お店の人が言うには、殆どが何十年も使い込んだもので、修理するにも部品一つ一つを改めて作り直さなければならないことも多いようです。新しい時計を買えない訳ではないが親から譲り受け、気に入っているので修理に出してくるそうです。インドはロケットを打ち上げ、自動車を生産する近代技術を持っています。でもその社会の奥には、私たち日本人が大量生産、大量消費の生活の中で無くしてしまったかも知れない「ものを大切にする心」がまだまだ息づいているような気がします。その文化が多くの優秀な修理職人の存在を支えているのかも知れません。
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